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2013年7月20日 (土)

今年は南へ!杉本都香咲の鹿児島紀行④あなたなら耐えられますか?

武家屋敷から私たちが向かったのは
<知覧特攻平和会館>
そうです、これが知覧のもう一つの顔。
昭和16年、
知覧には陸軍知覧飛行場が作られました。
そして…
太平洋戦争末期の沖縄戦で、
本土最南端の特攻隊の出撃地になった場所なのです。
特攻って言われても映画やテレビでしか
私たちは当然見たことがないです。
具体的にどういうことかといえば、
この特攻作戦は昭和20年3月から始まりました。
250㎏の爆弾を装着した戦闘機で
敵の艦船に体当たりする。
そこにはパイロットの<死>しかないのです。
特攻作戦の死者数の半数近くが
この知覧の飛行場から出撃したそうです。
この知覧特攻平和会館には
その特攻隊の方々の遺書、
軍服、所持品などの遺品が展示されています。
まずその特攻隊員の方々の書かれた遺書、
家族や恩師たちへの手紙に私は驚きました。
とにかく字が美しいのです。
もちろん今も昔も字に綺麗下手はあるでしょう。
でもそこに展示されているすべての遺書から、
それを書かなくてはいけなかった特攻隊の方々の
覚悟がにじみ出てこの美しさになったのだと思いました。
特攻隊員の若い人は17歳、
まだ高校生ではないですか…
それでも彼らが書き残した文面には恨み言一つなく、
ただただお世話になった両親や兄弟、
恩師や友人への感謝の言葉と、
これから死に行くことで国のため、
天皇陛下のためになるなら嬉しいとさえ書かれていました。
そういう時代だったのです。
父は戦争映画を見て知覧のことを知っていたようで、
一度は行きたいと言っていたのでしょう。
でもそこには父の想像を超える現実があったのです。
彼らの遺影と直筆の遺書を見るに堪えれなくなり、
父は途中で外に出ました。
「見ていられない…」
あとで父はそう言ってました。
終戦間際に生まれた父にとって、
戦争は私よりもはるかに現実味があるのです。
数ある遺書の中で私の目に焼き付いたのは
「人生20年」と書かれたものでした。
ご両親への感謝の言葉がとても丁寧に書かれていて、
そして最後にこうありました。
「今から出撃しますが、まるで近所に散歩に行くような清々しい気分です」
と。
涙があふれてきました。
死ぬという結果しかありえない特攻隊員ご本人たちの
苦悩、苦痛は勿論ですが、
大切に育ててきたわが子を、
まだ17歳にしかなっていないわが子を
笑って送り出さなくてはいけなかった親御さんたちの気持ちを、
大切なご主人を送り出さなくてはいけなかった奥様たちの気持ちを、
昨日まで抱っこしてもらっていた父親を見送らなければいけなかった
子供たちの気持ちを、
大切な人を死ぬとわかっているのに見送らなくてはいけなかった
人たちの気持ちを、
どうぞ想像してみてください。
見送れますか、自分のお子さんたちを?
見送れますか、自分の家族を?
やさしい近所のおじちゃん、お兄さんを
死ぬとわかっていて見送れますか?
私にはとても耐えられません。
想像しただけで気が狂いそうです。
今考えればこのような特攻作戦はありえないことです。
でも実際にあったんですよ、私たちの国日本で、
日本人が考えて、多くの人が犠牲になったのです。
そこからまだ70年も経っていないのです。
自分の祖父祖母の時代です。
今の子供たちにとっても阻祖父阻祖父母の時代です、
決して遠い過去の話ではないのです。
日本は戦争に負けたのです。
絶対、
同じ過ちを繰り返してはいけないのです。
戦争は2度とあってはいけないのです。
そうでなければ、
あの時日本のため、残された家族のために
自らの命を犠牲にした方々の想いを
無駄にしてしまいます。
隣国との緊張した関係もありますけれど、
武器は武器を呼ぶだけです、
憎しみは憎しみしか生まない。
それは世界で今だ起きてる争いやテロを見れば
明らか。
私には子供はいませんが、
守るべき子供たちは沢山います。
近所の子供たち、友人の子供たち、
いや、見知らぬ子供たちも。
今の子供たちが40歳50歳になった時に、
安心して暮らせる世の中を作るのが
私たち大人の役目だと。
何故ならそうやって今まで、
私は多くの大人の人たちに守られ
こうやって夢をかなえれるような日本に
生きてくることが出来たのだから。
今生きてる人たちだけのものではないです、
日本も、
地球も。
きっと覚悟が、
きっと私を含め今の日本人に一番足りないのは
覚悟なのではないでしょうか。
ごめんなさい、長々と書きました。
鹿児島に行ってから1か月経ちましたが、
あの手紙を思い出さない日はありません。
早くブログに書こうと思っていましたが、
これは慌てて書く内容ではないと思い、
時間が取れるまで待ちました。
きっと皆さん色々な感想やご意見があると思います。
それが良いのです、それが民主主義なのですから。
最後まで読んでいただいたことに感謝いたします。
知覧へ行けたことは、
残りの人生にとって貴重すぎる経験となりました。
連れて行ってくださった順子さんのご家族に
深く感謝してます。
鹿児島紀行、
後はエピローグを残すのみです。

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2013年7月20日 23時11分 シェ・トラ , 出来事個別ページコメント( 0)

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